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我が家の御朱印帳番外編『玉依姫』

公開日:

更新日:2020/01/17

カテゴリー: 敏子ブログ | 社長ブログ | 神社仏閣歴史巡り(古代史研究)  タグ:  | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | | |


【玉依姫】

不思議ですね何故千葉に玉依姫が上陸し玉前神社に入ったのか?

神話の話なので、ここからは私の推論をお話しします。(皆さんも自由に発想してみてください。)

ウキペディアより引用

■推論①【黒潮文化圏】
日本を流れる黒潮は、地球が一つの大陸(パンゲア大陸)だった頃、その中心に流れていた川がパールリ川。やがて大陸が分かれ、パールリ川は黒潮となって日本に数々の恵みを与えてくれています。

日本は太古の昔から黒潮に乗り世界へ行っています。その海洋民族の祖が大綿津見神(オオワタツミ)。ギリシャ神話に出てくるポセイドンです。

この時代は恐らく南九州~四国~紀州~伊豆静岡~房総半島と黒潮に乗り海洋民族が渡って行ったのでしょう。その証拠に各地域に付けられている地名が同じであったり似ています。漢字は当て字なので後から付けたもの。一部紹介すると「四国の阿波=千葉の安房」「南紀白浜=千葉白浜」「那智勝浦=千葉勝浦」「和歌山目良=伊豆の妻良=館山布良」「徳之島=徳島」「鹿島=鹿児島」

※余談ですが世界各国にあるスガ(スカ)は大綿津見神から海洋を任された素戔嗚尊(須佐之男命)の出雲族が付けたものと思っています。なぜなら清々しい(すがすがしい)と言う言葉を最初に発したのが素戔嗚尊だからです。「ヨコスカ=アラスカ=スカンジナビア=ナスカ」まだまだ沢山あります。何と馬鹿な事をと思っているでしょうが、日本の天皇(大王)になったのは紀元後です。それまでは地球の天皇(大王)。世界を行幸していたのです。各地に降りた時の名前が違うだけで人物は同じだと思っています。

■『記紀神話では、火照命又は火須勢理命(海幸彦)の釣針をなくして困っていた火須勢理命(山幸彦)が、塩土老翁の助言に従って綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、綿津見大神の娘である豊玉毘目売(豊玉姫)と結婚している。二神の間の子である鵜草葺不合命は豊玉毘売の妹である玉依毘売(玉依姫)に育てられ、後に結婚して若御毛沼命又は狭野尊(神倭伊波礼琵古命・かむやまといわれひこ)らを生んでいる。綿津見大神の出自は書かれていないが、一般にはオオワタツミと同一神と考えられている。』

玉依姫は大綿津見神と共に日本の各地域に行き、そこで同族や他部族との交流を深めていったのではないでしょうか?

■推論②【出雲族と大和族の戦い】
大和族は何度となく出雲族に戦いを挑みますが、天忍穗耳尊(天照大御神の子ではなく夫)は戦いに敗れ戦死しています。一時は天照大御神が須佐之男命の妻になり誓約にて宗像三神が生まれる程、仲睦まじかったのですが、須佐之男命は天照大御神の巫女に手を付け高天原から追放されます。

出雲は末子相続なので後継ぎは須世理姫です。須世理姫は須佐之男命の反対を押し切り、駆け落ちまでして大穴牟遅(大国主)と結婚します。やがて2人に男子が生まれます。建御名方(諏訪大社ご祭神)と事代主(恵比寿様)です。大和族(日向族)は出雲族から王権を奪うために、天照の子を次々と出雲に送ります。しかし天照の子達は出雲に稀人として歓待を受け結婚をしてしまいます。

困った天照は鹿島神宮の祭神である【建御雷神】と香取神宮の祭神である【経津主大神】に助けを求めます。(一説では同神との説もある。何故ならいつも行動が一緒だから)不思議です。日向の大和族が何故東関東(千葉:茨木)の大王(おおきみ)達に救いを求めたのでしょうか?

この時点では大和族(日向族)は九州の一つの王国の王に過ぎず、戦力では大きく出雲族が勝っていたと思われます。では何故東関東の大王達は大和族を助けたのでしょうか?ここに一つのヒントが隠されていると思います。一つは玉依姫の出自です。そして神武と関東の大王達との血縁関係(同族)かもしれません。

ウキペディアより引用

■神話では関西に上陸した大和族は登美能那賀須泥毘古(長脛彦/ナガスネヒコ)安日彦(アビヒコ兄弟)に負け神武の兄である五瀬命が他界してしまいます。敗れた大和族は一度九州に引き(?)、再び富士王朝と戦う訳ですが、ここでも苦戦します。迷子になった神武は【八咫烏】の導きによって救われ難を逃れた事になっています。その八咫烏とは何者でしょうか?そして神武東征の1回目なのか?2回目なのか?神武の大和族が関東の大王(豪族)に助けてもらった事は恐らく事実でしょう。しかし紀州では地理的に遠すぎます。何せ富士王朝と戦う訳ですから、神話には最初の戦いは太陽に向かって戦って負けたので、次は太陽を背にして戦い勝ったとあります。太陽を背にすると言うことは、東から入らなければならず、船で現在の千葉県の房総半島から九十九里海岸に上陸して関東の大王(豪族)を味方に付け富士に攻め上がったと思うのが一番しっくりきます。若しくは現在の神奈川県に入り、そこで関東の大王達と合流して富士王朝と戦ったのではないかと推測しています。源頼朝もそうでしたが、昔から千葉は、再起を図るうえで重要な役柄と言うか位置関係にあったのです。よって紀州で迷子になり、日向に戻らず関東に上陸したと私は推測します。

ウキペディアより引用

■しかし後に関東・東北の肥沃な土地を奪うためか、戦力を恐れたのかは分かりませんが、武内宿禰が日本武尊に出撃命令を出します。

ところが日本武尊が千葉に上陸する直前、嵐に見舞われ、その嵐を鎮める為に帯同した弟橘媛が荒れた海に身を投げています。

(ウキペディアより引用)

君さらず袖しが浦に立つ波のその面影をみるぞ悲しき。
(きみさらず=現在の木更津)日本武尊が
弟橘媛に対しうたった唄です。

(ウキペディアより引用)

千葉に上陸した日本武尊は後に関東を征服します。勝てば官軍、負ければ賊軍とは良く言ったものです。勝った一族では英雄であっても負けた一族から見ると単なる征服者です。

(ウキペディアより引用)

しかし日本武尊は天皇にはなれませんでした。一生涯戦いに追われ今でいう過労死に近かったと言われています。(絵は日本武尊が女装し戦った場面を描いています)

■またまた余談ですが出雲族の長は永らく素戔嗚尊でしたが素戔嗚尊は次男の五十猛(イタケル)と末子の須世理姫(すせりひめ)を可愛がり四男の大歳(ニギハヤヒ)こと天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊とは仲が良くなかったと言われています。大歳は出雲から畿内に入る時に大船団を率いて上陸し、その巨大な戦力に長脛彦は戦わずして平伏(降参)し和睦しています。そして妹の三炊屋媛を大歳に娶わせ富士王朝に向かい入れています。

神武東征の際は、既にニギハヤヒは亡くなっていたと言われています。よって実質上の統治王は長脛彦です。

※下記は玉前神社のHPにある「かずさ一之宮玉前さまものがたり」(必見です!)

https://tamasaki.org/book/tamasakisama.html

東関東編はこの回で終了です。

https://www.orangehouse-ginza.jp/